2016年11月22日 (火)

“背教者”はいない

 今日は午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山出龍宮顕斎殿において「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」が行われた。前日には、午前中に「第36回龍宮住吉霊宮秋季大祭」、午後には「第39回龍宮住吉本宮秋季大祭」が執り行われたが、それに続くもので、近隣の教区から信徒・幹部約250人が参列した。私は祝詞を奏上したほか、式典の最後に概略以下のような挨拶を述べた: 
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 皆さん、本日は谷口雅春大聖師御生誕記念式典にお集まりくださり、誠にありがとうございます。ご参集いただいた方の中には、昨日からの龍宮住吉霊宮の大祭と本宮の大祭にもご参加くださった方も多いと思います。心から感謝申し上げます。ありがとうございます。 
 
 先ほど祝詞を奏上させていただきましたが、その中にもあったように、今日のこの日は、生長の家創始者、谷口雅春先生のお誕生日であるだけでなく、第二代総裁の谷口清超先生が生長の家総裁の法燈を継承された記念すべき日でもあり、二重の意味でおめでたい記念日です。皆さん、おめでとうございます。 
 
 今日はこのように、雅春先生と清超先生が「生長の家総裁」という共通項で“ムスビ合わされた”日でありますので、お二人が結ばれる契機となった出来事について、さらには、お二人が出会う“仲介役”となった人物の存在の意味について、改めて考えてみたいのであります。 
 
 生長の家創始者であり初代総裁の谷口雅春先生と、二代目の清超先生とを結びつけたものは、1冊の『生命の實相』という御本でした。これは有名な話なので、ここに集まられた多くの方はすでにご存じでしょう。ただ、今日の私の話は、インターネットを介して日本全国、いや世界にも放映されているので、まだ知らない人も聴いてくださっているでしょう。清超先生の御本から引用しつつ話すことにいたします。 
 
 谷口清超先生は、もともと荒地清超というお名前で、谷口家には婿養子として入籍されました。それは昭和21年(1946年)のことですが、それに先立って、まず清超先生が生長の家を初めて知られたのは、戦中の島根県浜田市の陸軍病院でした。先生はそこで結核を病んでおられたけれども、上官に当たる同室の上等兵が読んでいた『生命の實相』を興味半分で借りて読んだところ、その内容にぐんぐん惹かれて手放せなくなり、ついに健康を回復されたのでした。これによって生長の家を知った清超先生は、戦後になって、『生長の家』誌で募集していた翻訳係に応募し、採用されたので上京し、谷口恵美子先生にお会いすることになるのです。 
 
 ですから、『生命の實相』がお二人を結んだようでありますが、その『生命の實相』を上等兵が清超先生に貸すことがなかったならば、清超先生はその後も『生命の實相』を読まれなかったかもしれない。そうなると第二代の生長の家総裁は別の人になっていた可能性もあるのです。すると、私などは存在しないから、勿論この場所に立つこともないのであります。つまり、生長の家が今日存続していたかどうかは、この上等兵の判断一つにかかっていた--そう言えるような重要な“ムスビ”の役割を果たした人がいたのであります。 
 
 清超先生が書かれた『真実を求めて』というご本には、この不思議で、大変重要な縁をつくった上等兵の役割について深い真理が説かれているので、このご文章を引用しながら、説明させていただきたいのであります。43ページから始まる「方便説法」という章を読みます-- 
 
<思えば一冊の真理の書物が、どれだけ多くの人々を救ったか分からない。しかし、その書物を用意してくれた人々が、必ずどこかにいたのである。私自身、かつて陸軍病院に入院中、ベッドの上で一冊の『生命の實相』をとり出し、それによみふけっていた兵隊から、その本を借りてよみ出したことがきっかけで、生長の家にふれたのだ。
「ちょっとそれを貸して見せて下さい」
 という私の願望は、決して「真理を求める」といった大袈裟なものではなく、ちょっと小説でも借りて読んでいようかといった、軽い気持ちであった。ところが、その本をよんでみて、私はその時以来『生命の實相』のとりことなった。 
 私はこうして真理の大愛に捕捉されたのである。当時の私には決して求道し探求したいといった思いはなかった。又、その本をかしてくれた兵隊も、私を「救ってやる」などという気配は微塵も見せず、かえって私に貸すのがいかにもおしそうであった。 
 こうして、彼は後になって死に、私は助かったのである。彼は最後に背教者となっていた。がしかし私は、彼によって、彼を通して、この大法を得たのである。このことの意味を、私はいつも考え続けている。「背教者」の意味をである……ある人は、ベンチの上に捨てられていた一冊の信仰の誌をみつけ、それで救われていった。その時、ベンチに、誰かがそれを捨てたのだ。一体、本当に「捨てる」とか「背教する」ということがありうるのだろうか。そんなものはナイのである。 
 ナイけれども、あたかもあるように見える。そのような現象の奥にある神の大愛が、私達を救いとって放そうとしない。捨てる人は、たしかに「捨てる」という意識をもったのであろう。しかし、本当は「伝道した」ことになる。教えに背いた人も、本当は背いていないにちがいないので、ただ一時、そのように表現し、その表現が、自分自身を胡魔化(ごまか)してしまう。彼は、夢を見るのである。 
 このようにして、夢の中にいる人々に対して、その夢をやぶるために、様々な方便が使われる。それは必ずしも、真理の説法でなくてもよいし、バケツの水をブッかけるといった類いの行為でもよい。だが、その行為の奥には、明らかに大いなる「愛」が働きかけているのである。この愛こそが本物であり、それによって、人々は限りなく尊く美しく生長して行くのである。>(同書、pp.44-46) 
 
 この後、少しページを飛ばして、49ページから読みます-- 
 
<かつて私に『生命の實相』を貸してくれた兵隊も、一時的には健康を取りもどした。がしかし何らかの機会に、健康を第一として、その方便としてのみ本を見るようになったらしい彼は、 
「お前、まだ生長の家なんかやっているのか。俺は、このごろあの雑誌で尻をふいとるよ」
 というようにまでなってしまった。こうしてひどく痔を悪化させ、肺病も末期になって死んでしまったのである。私は彼の言葉を想い出すと、いつもこの背教的恩人が“皮肉な詩人”であったという気がして、悲しくなるのである。 
 当時の私は、まだ『生命の實相』を愛読中の一声聞(しょうもん)の徒にすぎなかったのだ。私は当時彼を救うなどという考えをいささかも起こしてはおらず、かえって先輩である彼のこの背教的行為で打ちのめされ、うろたえたものだ。しかしどうしても『生命の實相』を投げすてる気にはなれず、いつの間にか彼とは別の道を進んでしまったのである。>(同書、pp.49-50) 
 
 谷口清超先生に教えを伝えた上等兵は、伝えたあとは教えを棄ててしまい、生長の家の「雑誌を破って尻を拭く」などという背教的な行為をしていた挙句、肺病が悪化して死んでしまった。しかし、この背教的離反者がいなかったならば、清超先生は生長の家の第二代総裁にはならなかったかもしれない。このことを考えると、一見“悪”だと思われる行為であっても、あるいは、そういう“悪人”がいるように見えても、その背後には、より大きな善が現れる重要な契機が潜んでいたことが分かるのであります。そして、先生がおっしゃる通り、本当の意味での“背教者”など存在しないことが納得されるのです。これは釈尊に対する提婆達多や、イエスに対するイスカリオテのユダの関係にも言えることでしょう。 
 
 さて、これらはやや昔の話でありますが、私たちの運動の中で最近も同じような解釈が可能な出来事がありました。 
 
 昨日行なわれた2つの御祭では、私たちはそれぞれ『大自然讃歌』と『観世音菩薩讃歌』を読誦しました。これらの2つの讃歌は、今から5年ほど前に私が書かせていただいたものですが、当時は、生長の家の重要な経典である聖経『甘露の法雨』と『天使の言葉』が、版元の日本教文社から発行できなくなる恐れが生じていたのです。これは当時の社会事業団理事長が、出版差し止めをやろうとした。この人物は、もともとは生長の家の本部理事まで務めた人ですが、私たちの運動の方向に反対して、聖経の版権を別の出版社に譲ってしまった。私たちの立場から見れば、これは一種の“背教的行為”です。 
 
 私は、そのような彼の行為が事前に予測できたので、その頃、何とかしなければいけないと思い、2つの聖経から引用しつつ、2つの新しい自由詩をブログ上で発表したのでした。それらが約1年後に『大自然讃歌』と『観世音菩薩讃歌』の経本になりました。今では皆さんも、この2つの讃歌に親しんで下さっていると思いますが、その当時、社会事業団の訴訟がなければ、また、そういう一見“背教的”な人物がいなければ、私は経本を書こうなど夢想もしていませんでした。だから、この2つの讃歌は、この世に生まれることはなかったでしょう。が、この人物とその訴訟のおかげで、これら2つは世に出ることになったのであります。 
 
 これらの讃歌は、人間にとって自然界がどれだけ貴重で素晴らしい存在であるかを、御教えにもとづいて讃美し讃嘆する内容です。聖経『甘露の法雨』も『天使の言葉』も、そういう視点からは教えを説いていないので、地球温暖化と気候変動が起こっている現在、これらの讃歌の役割はますます重要になっています。そういう自由詩を私に書かせ、またその経本を生長の家に発行させる役割を果たしたのが、一見“背教的”な“敵対行為”を行った人物だったのです。 
 
 しかし、この行為が、御教えの多様な展開と今日的状況への対応を可能にしてくれたのです。それを思えば、私には今、それが--清超先生のお言葉を借りれば--「現象の奥にある神の大愛」のように感ぜられるのであります。これら両讃歌は、今では日本語のみならず、英語、ポルトガル語、中国語、韓国語、ドイツ語、スペイン語にも翻訳されて、世界中の生長の家信徒が読誦し、また信徒以外の人々にも伝わりつつあります。 
 
 このようにして、善一元の実相が現象界に現れる過程では、一見、“悪い”と思われる事象も出てくるけれども、その背後に真理を表現せずにはおかない“神の大愛”があることを観通すことが大切だと教えられます。皆さんもぜひ、現象の表面的な“悪”に心を千々に乱すことなく、神の世界の善一元を信じ、その表現に向かって明るく、力強く前進してください。生長の家が今日あるのも、現象悪によって動揺せず、教えを棄てることのなかった厚い信仰者たちがあったればこそなのです。 
 
 谷口雅春先生のお誕生日、また谷口清超先生の法燈継承記念日に当たって所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。 
 
 谷口 雅宣

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2016年10月28日 (金)

“もの作り”で創造的人生を

 今日は午前10時から、山梨県北杜市大泉町の生長の家国際本部“森の中のオフィス”のイベントホールで「谷口清超大聖師八年祭」が執り行われた。私は祭壇に掲げられた谷口清超先生の遺影の前に玉串を奉げ、御祭の最後に概略、次のような挨拶を述べた--
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 皆さん、本日は谷口清超大聖師八年祭にご参列いただき、ありがとうございます。谷口清超先生は、ちょうど8年前のこの日に89歳で昇天されました。 
 
 私は昨年の清超先生の七年祭で、昭和50年5月号の『生長の家』誌から引用して、先生が「物を大切にせよ」と教えられたという話をしました。また先生は、そう教えられただけでなく、ご自身の実際生活の中でも、その通りに生きられました。その教えをわかりやすく説かれた言葉を昨年七年祭で紹介しましたが、今回も繰り返してお伝えしましょう--「物はどんな小さいものでも“神の愛”と“人の真心”のカタマリである」というのが、それです。 
 
 清超先生は、このお考えを写真の中にも表現されているのですが、そういう例を2~3点紹介しましょう: 
 
Yutakanajinsei_m  これは昭和61年(1986)に発行された『豊かな人生を作ろう』という御著書の表紙カバーです。廃車になった車が積み上げられている写真ですが、それを使って「豊かな人生を作ろう」と仰っているのですから、この写真の例は、何でも安易に廃棄してしまう今の社会は本当は「豊かではない」ということを、暗に指摘されているのです。「はしがき」には、こう書いておられます-- 
 
 「さてこの本のカバーの写真は、私が北海道へ行った時、朝港町で撮ったもので、直接豊かさをあらわしたものではなく、古びたポンコツ車の残骸である。いささかのアイロニーをもって、こんなものを使うことにした」 
 
 次の写真は、この御著書の前の年(1985年)に発行された『人は天窓から入る』という本の表紙カバーです。「はしがき」にあるその説明文を読みます-- 
 
Hitowatemmado_m_2 「カバー写真は私宅の2階で、息子の残して行った人形を床の上において写したものである。“天窓から入る”というイメージが出たかどうかは少々疑問だが……」 
 
 補足しますと、この「息子」というのは私のことで、この人形はお腹かどこかを押すと「ギャハハハハ……」と笑い声を出す仕掛けが組み込まれているジョーク・トーイです。先生がこれを撮影された当時は、私は結婚して、東京・世田谷区の駒沢大学の近くに住んでいたのです。不要となったので置いていったジョーク・トーイに目をつけられて、先生はそれを聖典の表紙写真として蘇らせてくださいました。この写真の構図は、ちょうど私たちが天井を見上げると、そこにある天窓からヒゲ面のオジサンが顔を突っ込んで、あいさつしている--そんな感じがします。これは「人間は物質や肉体ではなく、天から降ってきた神の子である」というメッセージをユーモアをもって伝えているのではないでしょうか? 
 
 次の写真は、どこかで一度紹介したことがあると思いますが、平成9年(1997)に発刊された『創造的人生のために』という御著書の表紙カバーです。この本のカバーの袖の裏にSouzoujinsei2 は、こんな短い説明があります-- 
 
 「カバー写真の塑像・谷口雅宣氏の中学生時代の作品」 
 
 向かって左側が私の“作品”で、粘土で作ったハニワの頭を焼いたものです。右側は、プロのこけし職人の作品で、ずっと新しいもので多分、25年くらい後の作品です。古いものと新しいもの、粘土の塑像と木製のこけし、また頭だけのものと全身を表現したものなど、一見異質のものですが、その2つを組み合わせて写真にすると、何とも言えない暖かい人間性と、相互の信頼感を表現するような作品になっています。清超先生が、これを「創造的人生のために」というタイトルの表現に使われているという点も、私たちは学ぶべきことだと思います。「創造とは、古いものを破壊したり、捨て去ることではない」。「新旧の組み合わせで新しい価値が生まれる」「相互のプラス面を引き出せ」……などです。私たちが今、強調している“ムスビの働き”の素晴らしい例が、この一枚の写真にあると考えます。 
 
 このようにして谷口清超先生は、物を単なる物質とは考えずに、「どんな小さいものでも“神の愛”と“人の真心”のカタマリである」と感じて大切に使い、古いものでも新しい環境に活かして使われた。その御心と教えを私たちは今日、運動の中で大いに実践しようとしているのであります。何のことだかお分かりですね? ついこの間、この“森の中のオフィス”では「自然の恵みフェスタ2016」という催しが行われました。その中では、手づくりの工芸品であるクラフトの展示販売が行われました。そこに出品されたクラフトの数は、昨年よりずいぶん増えました。また、出品してくださった人の数も増えています。さらには、「SNIクラフト倶楽部」という組織が全国的にも結成されつつあります。そして、そのような動きに参加される生長の家信徒の数も増え、それぞれの教区でクラフト製作が行われるようになってきました。 
 
 何でも新しいものを買って、それが古くなれば廃棄し、さらに新しいものを買う。また、自分の手足を使って物事をするよりも、お金を払って誰かに物事を効率的に処理してもらう--というライフスタイルが、地球温暖化や環境破壊の原因になっていることは、皆さんもすでにご存じです。ですから、私たちがプロジェクト型組織を作って推進しようとしている活動--自転車通勤、クラフト製作、食材のオーガニック栽培などは、時代の流れに反する非効率で、苦しい活動だと考える人がいるかもしれません。しかし、実際にPBSの活動をしている皆さんはお分かりと思いますが、これらの活動は、私たちが都会生活の中で忘れていた“自然との一体感”を回復し、私たち一人一人の創造性を高める活動なのであります。 
 
 最後に、谷口清超先生の『創造的人生のために』から、人間が本来もっている創造性を表現することが、私たちの喜びであることを説かれた箇所を朗読いたします-- 
 
「人は何かを作り出すことが好きだ。子供は泥をこねて、色んな動物をこしらえ、家や山を作って遊ぶ。大人になると本物の家を作り、橋を作り、車を作り、芝居や小説を作る人も出て来る。遂には人殺しの犯人をさがし出す名探偵ポワロが作られたりするのである。
 それを読んだり見たりするのは、自分が犯人になりたいからではなく、色々の筋書きを作ったり、想像したりして、楽しみたいからであろう。一般の人々は温かい家庭を作り、よい子供を育てたいと思う。これもまた人々の中に“創造する力”がみちあふれている証拠だ。その“力”を現わしたいと思うのである。そして現わし出す時、限りない喜びが湧き上がる。つまり、“創造的人生”を送ることによって、人々は大いに楽しむことが出来ると言えるであろう。」(同書、pp. 1-2) 
 
 それでは皆さん、谷口清超大聖師が説かれた「物を大切にする心」を深く理解し、その教えにもとづいて自ら手足を動かして実践することで、“創造的人生”をそれぞれの立場で生き、表現の喜びを味わいつつ、光明化運動を新しい段階に引き上げていこうではありませんか。清超先生の八年祭に当たり、所感を申し述べました。ご清聴、ありがとうございました。 
 
 谷口 雅宣

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2016年9月22日 (木)

一生とは無限成長の一段階  

 今日は午前10時半から、山梨県北杜市にある生長の家“森の中のオフィス”のイベントホールで、「生長の家布教功労物故者追悼慰霊祭」が執り行われた。あいにくの小雨模様で、気温も10月半ばぐらいの肌寒さだったが、布教功労者のご遺族を初め、本部職員を含めた参列者は、布教活動に捧げられた功労者の生前の遺徳を偲び、光明化運動のさらなる進展に決意を新たにした。 
 
 私は、奏上の詞を朗読したほか、御祭の最後に概略、以下のような挨拶を述べた-- 
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 皆さん、本日は生長の家の布教功労物故者追悼慰霊祭に大勢お集まりくださり、ありがとうございます。 
 
 この慰霊祭は、生長の家の運動に長年にわたって挺身・致心・献資の誠を捧げてくださった幹部・信徒のうち、ここ1年ほどの間に霊界に旅立っていかれた方々の御霊をお招きして、感謝の誠を捧げるという大切な行事であります。昨年は316柱の御霊様のお名前を呼び、供養させていただきましたが、今年は304柱でした。その中には、私が妻と共に生長の家講習会のために地方へ行ったときに親しく出迎えて下さり、また運動推進に尽力された方々の名前も多く見られ、当時の交流を懐かしく思い出すと共に、残念な想いを禁じ得ないのであります。 
 
 遺族代表として挨拶していただいたのは、元教化部長の有好正光(のぶみつ)さんの奥様でしたが、ご主人の有好さんは、私が生長の家本部に入った当初から、同じ部で数年間、一緒に仕事をさせていただいた方です。コンピューターの知識に詳しく、私にその分野のことをいろいろ教えてくださり、本部の事務合理化に貢献された後は、教化部長として東北地方などの教区の運動の先頭に立って活躍されました。 
 
 ブラジル伝道本部に勤めておられたカチア・メトラン・サイタさんは、伝道本部では数少ない英語を理解する講師で、生長の家の国際教修会など、英語からポルトガル語への通訳や翻訳を行う際には欠くべからざる存在でした。私のスピーチの通訳もして下さったことがあります。 
 
 このほかのすべての御霊さまも、それぞれの地域で、それぞれの個性と優れた能力を発揮されながら、光明化運動に大きく貢献された方々です。心から感謝申し上げるとともに、今後の私たちの運動を霊界から守護していただき、霊界での真理宣布に活躍されることをお願いするものであります。 
 
 私たちは、そこにあることが“当たり前”だと思っていた人・物・事がなくなると、それらの掛け替えのなさ、大切さを、「失う」ということで思い知ることがあります。肉親の死はもちろん、友人や運動の同志の死も、そういう機会の最たるものであります。「失われることによって知る、人の命の大切さ」と言われるものです。また、「死は教化(きょうげ)する」とも言われます。しかし、生長の家では、そういう人々の命は、死によって「失われる」とは考えないのであります。確かに肉体は失われますが、魂は永遠に生き続ける。それも、私たちとは縁も所縁(ゆかり)もない全く別の所へ行ってしまうのではなく、私たちの魂の“近く”で、守護霊として、また助言者として共にあると考えるのです。 
 
 それは鉄道に喩えると、山手線のような環状線と、東海道線や中央線のような一方向に延びる鉄道の違いにも似ています。環状線は、英語ではサイクリック(cyclic)とかサイクリカル(cyclical)と表現され、東海道線や中央線はリニア(linea)と言われますね。その違いは、リニアの鉄道では、人を一端新宿で送り出したら、もう追いかけて行ってもつかまえることができない。しかし、山手線のような環状線であれば、新宿で別れても、少し待っていれば、その電車は再び同じ駅に入ってくるから、また会うことができるかもしれない。そんな違いがあります。 
 
 それはちょうど、季節の変化にも似てますね。今日は秋分の日ですから、秋がやってきています。その前は夏でしたが、私たちは「夏が終る」とは言っても「夏を失う」とは言いません。冬になっても「秋を失った」などとは考えない。なぜなら、また来年、「同じ夏が来る」「同じ秋が来る」と考えるからです。しかしよく考えると、夏はめぐり、秋もめぐってきますが、「同じ夏」「同じ秋」というものは、決してめぐってきません。そのことを私は、東京にいる時は強く感じなかったのです。街に住んでいると、季節を感じるのは、自然との触れ合いからというよりは、人工的な手段によるからです。例えば、デパートや商店の飾り付け、ショウウインドーのマネキンの服装などで感じることが多いのです。街では、ファッションや食品などは“季節の先取り”をする。だから、自然界の変化に先駆けて、人工的な手段によって季節の変化を実際より早く知ることになる。それは学校のグラウンドをぐるぐる回るように、周囲の風景は変わりませんから、いつも同じ季節が来るという感覚になるのだと思われます。 
 
 しかし、森での生活は、自然そのものから感じる季節の変化です。それも、こちらは八ヶ岳の斜面にありますから、季節が南の低地から北の高地へと移動するのがよく分かるのです。また、自然界は常に変化していますから、去年どこにあったサクラの樹が、今年も同じ日に同じ状態で咲いたり、紅葉したりすることはない。微妙に変化しています。キノコにいたっては、去年はある場所でドッサリ獲れたとしても、今年は同じ時期、同じ場所でもまったく姿が見えないなどということは、ざらにあります。 
 
 しかし、全体としては、季節は確実にめぐって来ます。私が何を申し上げたいかというと、霊界にも“親和の法則”が働いていますから、私たちと魂のレベルや霊的な進化の程度の近い人たちは、霊界に移行しても私たちの近辺におられるかもしれない。しかし、顕幽両界は変化するし、私たち自身も霊的に進歩したり退歩したりします。霊界に移られた御霊様も、そこでの修行によってレベルの変化があるかもしれない。そういうようにして、私たちと御霊様との関係は、生前とまったく同じ状態が細部まで続くことはないが、季節がめぐって「ああ、秋が来た」と分かるように、「ああ、ここにあの人がいる」とか「ああ、あの人が教えてくれた」というレベルの経験をもつことはできる、ということです。 
 
 しかし、私たちは霊界に先に行かれた御霊様に感謝し、親愛の情を保つことは素晴らしいことで、ぜひ毎年続けていただきたいが、いつまでも自分の近くにつなぎ止めておこうと執着してはいけません。それは、霊界で飛躍すべき御霊様の魂の成長を邪魔することになるし、自分の魂の成長も止めてしまうかもしれないからです。この肉体をもった世界も、霊界も、魂の成長のため--言い換えれば、神の子の無限内容の表現のためにあるのですから、一箇所や一種類の環境に留まるのでは、その目的は達成しません。そのことを書いた「祈りの言葉」があるので、最後にそれを紹介しましょう。『日々の祈り』に収録された“「終り」は「始まり」であることを知る祈り”の一部を朗読いたします-- 
 
「私はいま神の御心を静かに観ずるに、この現象世界は無限表現の舞台であることを知る。物事は変化しながら繰り返され、繰り返されながら変化していくのである。諸行無常といえども、無常は無秩序ではなく、変化には一定のパターンがあり、そのパターンは繰り返されるのである。一日は、朝で始まり夜に終る。一年は、春夏秋冬を経て12カ月で終る。人間の肉体には誕生があり、成長があり、老衰があり、死がある。物事には始まりがあり、終りがあるといえども、終りはすなわち始まりである。夜のあとに朝があり、冬の後に春があり、死の後に生があり、その継続が繰り返される。この変化と繰り返しの過程で、無限の表現が行われるのである。時間と空間のひろがりの上に有限が展開することで、無限は表現されるのである。 
 
 私はだから、変化を恐れないのである。終りは始まりの揺り篭であり、始まりは一層高度な表現を約束する。失業は新方面への発展を切り拓き、転勤は自己拡大のチャンスである。一つの環境に留まっているのでは“神の子”の表現は出来ない。一つの能力に頼っていては“神の子”の力は発揮できない。一分野の知識だけでは“神の子”の知恵は開発されない。一つの仕事だけでは“神の子”の無限性は表現できない。一回の人生では“神の子”の全相が現れるものではない。しかし私は、“一つ”をおろそかにしないのである。“一つ”は“無限”への階段である。一段を踏み外すものは十段に達することができない。基礎をおろそかにして応用は不可能である。与えられた場で最善を尽くすことで、次なる飛躍が初めて可能となるのである。」(pp. 179-180) 
 
 人の一生は、さらなる飛躍と発展の一段階であるということです。今日、祭祀申上げた御霊様は今生においてベストを尽くし、次の生に旅立っていかれました。私たちも今生でさらに精進を重ね、真理を拡大し、御霊さまの魂の成長に遅れをとらないように、益々世界平和のため光明化運動に邁進したいと考えるものです。 
 
 本日はご参列、誠にありがとうございました。これをもって慰霊祭の挨拶といたします。 
 
 谷口 雅宣

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2016年9月18日 (日)

『新潮45』のメチャクチャな記事

 こんな表題で本欄を書かねばならないことは誠に遺憾だが、メチャクチャを書かれて黙っていたら、その内容を認めたことになると考え、不本意ながらキーボードを叩いている。新潮社発行の『新潮45』が10月号で“いま宗教に「救い」はあるか”という特集を組み、その中でフリーライターの藤倉善郎という人物が“「反安倍」となった日本会議の母体「生長の家」”という題の記事を書いている。このタイトル自体はそれほど問題はないが、副題となっている次の2行の文章がデタラメなのだ。曰く-- 
 
 政界にも人を送り込んだ「右翼教団」は、いつの間にか「エコ左翼宗教」となっていた。現総裁は、創始者の信者を追い出し、親兄弟をも排除し、「自分の宗教」を作りあげた。 
 
 --こういう言い草は今、生長の家の運動に反対して嫌がらせを続けている“反対勢力”の主張そのものである。それをそのまま記事にするような人が、はたしてジャーナリストと言えるだろうか? きちんと教育されたジャーナリストならば、取材対象とした二者の間にもし争いがあるのだとしたら、その双方の意見をきちんと聞いてから、それぞれの主張を紹介し、自分の判断を述べるべきだ。にもかかわらず、記事を書いた藤倉氏は、一方の主張だけを延々と書きつらね、私たち教団側の主張については、公式発表の差し障りのないものだけを紹介し、あとは私を名指しして言いたい放題に批判している。いったい藤倉氏は、私に何か個人的な恨みでもあるのかと疑いたくなる。 
 
 私も短期間だがジャーナリストとして生活していた経験があるから言わせてもらうが、こんな記事は、私の時代にはデスクの段階でボツになるに決まっている。「掲載に耐えない」と判断されるのだ。理由は「客観性」「中立性」がないからだ。そういう種類のものが一流の出版社が出す月刊雑誌に堂々と掲載されるということは、日本のジャーナリズムは相当質が低下したと考えざるを得ない。実に嘆かわしい現象だ。本欄の読者に助言申し上げるが、興味のある方はこの記事を読んでくださっても構わないが、「定価880円」を出して買う価値は決してない。立ち読みで十分であるし、その時間と労力ももったいない。他のもっと重要なこと、楽しいことに使われた方がいい。 
 
 上記のことから分かるように、藤倉氏の記事は、ほとんど裏付けのない事柄を独断的に書き、独断がマズイと思う箇所は、取材源の人物名を書いて、その人物に好き放題を言わせている。ところが、その人物は誰かと思えば、生長の家以外の人間であったり、生長の家との裁判で係争中の相手だったり、はたまた反対運動の熱心な推進者である。これを「一方的記事」と言わずに何と言うべきか。 
 
 こういう取材態度や断定の中で私が最もデタラメだと感じ、怒りを禁じ得ないのは、私と父の第2代総裁、谷口清超先生との間に「親子対決」があったという事実無根の話だ。それを言っているのは「犬塚博英」という生長の家の職員だったことのない人物である。その犬塚氏が、さも内情通であるかのように記事に登場し、私が副総裁に就任した頃の“内情”と称して、こんなことを言っている-- 
 
「当時は総裁と副総裁が父子間で主導権争いをしていた。これには家族関係をめぐる屈折した感情もあったようです。雅春先生は、しつけに厳しく、雅宣氏が食事中に誤って味噌汁をこぼした際、雅春先生から床にこぼれた味噌汁をすすらされたというエピソードもあります。そんな祖父に対する恨みが強かったように思います」 
 
 なんというメチャクチャな論理だろう。私が副総裁になったのは、父の谷口清超先生から薦められたからで、父子間の対立などなかったからである。また、“味噌汁事件”は、私が小学生の頃の笑い話だ。味噌汁がこぼれたのは「床」ではなく、漆塗りの「卓袱台」の上だった。私はその漆の香の混じった味噌汁の味を今でも懐かしく思い出す。それは祖父への恨みなどではなく、「食べものを粗末にするな」という教えとして受け取り、感謝の気持をもってその教えの通りに今日まで生きてきている。冷静に考えれば、生長の家に勤めたこともない犬塚氏に、私のそんな心情など分かるはずはないのに、取材した藤倉氏は、悪意からでなければまったく安易に、犬塚氏のいい加減な憶測を事実と受け取って記事にしている。 
 
 だいたい万が一、私が祖父を恨んでいたとしても(もちろん事実ではないが)、その恨みがどうして祖父ではない父親に振り向けられるのか? 人間性の理解という面でも、藤倉氏は実におざなりである。明治生まれの祖父は確かに厳格だったが、大正生まれの父は自由主義者だった。そんなことは、教団の内部ではよく知られていることで、取材不足もはなはだしい。私に留学の資金を出してくれたのは祖父であるし、留学後は新聞記者になることに賛成してくれたのは、父である。個人の自由意思を重んじる父は、「教団へもどって来い」などとは言わなかった。私は若い頃のこの2つの経験を大変貴重なものと感じており、祖父と父には感謝しこそすれ、恨みに思うなどと考えるのはトンデモない妄想である。 
 
 このように、藤倉氏のトンデモ記事について私の言いたいことはいくらでもあるが、時間のムダ遣いはしたくない。読者にはとにかく「読む価値のない記事」であることを知っていただき、間違っても「880円」をムダにしないでいただきたい。 
 
 冒頭で「日本のジャーナリズムは廃れた」という意味のことを書いたが、もっと正確に言えば、「大手ジャーナリズムは廃れた」と書くべきかもしれない。なぜなら、『週刊 金曜日』という週刊誌は、日本会議と生長の家との関係について私にきちんと取材し、今年8月5日-12日合併号と同月19日号で公平な記事を書いてくれている。このインタビュー記事は、同誌の御好意で、近く発行される『生長の家』誌に転載される予定である。読者はどうか、こちらの記事にあることを事実として理解していただきたい。 
 
 谷口 雅宣

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2016年8月18日 (木)

核による先制攻撃 (2)

 日本を対象に具体的なケースを考えてみよう。今の時点で最も起こりやすい日本周辺での武力衝突は、尖閣諸島や南沙諸島海域で日本と中国の間で起こるものだ。その場合、中国の軍艦や戦闘機が日本の自衛隊の航空機や艦船に対して攻撃を検討するときには、日本からだけでなく、アメリカ軍からの報復攻撃の可能性も考慮しなければならない。そして、アメリカ軍の報復の中には「核によるものもあり得る」と考える場合と、「核での報復はない」と考える場合との間に、中国側の攻撃命令の出しやすさに違いがあるかどうかということである。私は、違いはそれほどないと思う。なぜなら、日中の艦船や航空機間での武力衝突に対して、アメリカがいきなり核兵器を使って中国を攻撃することなど考えられないからだ。だいたい、アメリカのICBM(大陸間弾道弾)やSLBM(潜水艦発射弾道弾)は、中国の何をねらって発射されるのか? 両国の艦船間の小ぜりあいに対して、アメリカが中国の都市を攻撃すれば、それは明らかな過剰攻撃であり、人命軽視が批判されて国際世論を敵に回す。 
 
 では、どんな場合に、アメリカの核攻撃のオプションが中国の武力攻撃を抑止する可能性を生むかというと、尖閣諸島周辺での日中の武力衝突がしだいにエスカレートして、両国の攻撃が相手方の軍事基地に向けられるようになった際だろう。しかし、この場合でも、沖縄の基地が攻撃されたからといって、アメリカは中国本土に核攻撃で報復する可能性は低いと思う。その理由は、米中間の核戦争に発展する可能性が生まれるからだ。では、何もしないかといえば、そうではなく、通常兵器による報復攻撃によって限定的に応戦しながら、外交的に紛争処理の機会をさぐることになるだろう。また、「戦術核兵器」と呼ばれる比較的小規模な破壊力をもった核兵器を“先制的”に使用する選択肢もあるかもしれないが、これもいきなり使うことはなく、通常戦力による戦闘がエスカレートする過程での使用だから、いわゆる「核先制攻撃」の範疇には入らない。つまり、「核先制攻撃」を放棄しても、戦術核兵器を防衛的に使用することはできるだろう。 
 
 問題は、北朝鮮の動向だ。私は、北朝鮮の核開発は、アメリカからの先制核攻撃の脅威を和らげるための手段だと考えている。北朝鮮の核攻撃能力は、韓国のソウルや日本の東京に壊滅的打撃を与えることは今でも可能だろう。だが、彼らがそれを実際にしないのは、アメリカの“核の傘”が有効に機能しているからだ。つまり、ソウルや東京への核攻撃、ないしはその脅しが機能しないのは、北朝鮮がアメリカによる核報復攻撃を恐れているからだ。だから彼らは、ミサイルの技術を向上させて、シアトルやサンフランシスコなどの人口密集地に正確に誘導する能力を獲得することにより、アメリカの核(報復)攻撃を抑止しようとしているのだろう。 
 
 そこで今回、アメリカが核先制攻撃のオプションを放棄すると宣言した場合、北朝鮮はどう考えるかが重要なポイントになる。もし私が考えているように、北朝鮮の核開発の目的がアメリカからの先制核攻撃の抑止であるならば、それを放棄するアメリカの決定は北朝鮮への朗報だ。別の言葉で言えば、彼らはこれ以上核開発を進める理由を失うことになる。しかし--と安倍首相なら言うかもしれない--アメリカからの先制核攻撃の脅威がなくなれば、北朝鮮は“安心して”日本や韓国を核攻撃で恫喝しつつ、東アジアで勝手な行動を拡大することになる。本当だろうか? 
 
 私は結局、この問題は北朝鮮の現政権を“極悪”と見るのか、それとも“善”と言わないまでも“極悪ではない”(交渉の余地がある相手)と見るかの差ではないかと思う。前者の見方をすれば、どんな防衛上の努力を講じても、“北朝鮮の脅威”を払拭することはできない。だいたい北朝鮮は、核兵器など使わなくても、一部のイスラーム過激派のように、日本国内に戦闘員を潜入させて、銀座や大手町で自爆テロを起こすことは今でも可能だろう。しかし、後者と見るならば、彼らの外交目的は(他のどの国とも同様に)自国の安全保障と繁栄であるだろうから、その目的に資する条件を提示して交渉のテーブルに引き戻すことは可能だと思うし、そうすべきである。 
 
 私が言いたいのは、この時点でアメリカが「核による先制攻撃」の選択肢を放棄する核戦略の転換を行ったとしても、中国や北朝鮮から日本が武力挑発を受ける危険性が有意に増大する可能性は少ないということだ。これはもちろん、そういう危険性が「絶対ない」という意味ではない。日米の信頼関係が破綻したり、中朝の指導者の国内統治力が大幅に減じたり、はたまた日本の力が及ばない事態の勃発で朝鮮半島で武力衝突が起こったりすれば、条件は大きく変わる。これらの“不測の事態”が起こることを今から考えて、万全の構えで国の安全を保障したいという「不安な気持」は理解できなくはない。しかし、それならば、防衛力や軍事技術のような“敵を認めて備える”努力を増大するのではなく、外交や親善交流を拡大して“敵として認めない”努力をもっと拡大すべきだと思う。なぜなら、国際関係は結局、人間の心が動かすものだからだ。 
 
 谷口 雅宣

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2016年8月17日 (水)

核による先制攻撃

 物騒なタイトルをつけてしまったが実際、物騒な話なので、読者諸賢にはご容赦願いたい。8月17日の『山梨日日新聞』が共同通信の配信記事を1面トップに載せて、安倍晋三首相が「核による先制攻撃という選択肢を捨てないでほしい」とアメリカの太平洋軍司令官に頼んだというのである。米紙『ワシントン・ポスト』が15日付で伝えたニュースを日本向けに書き直したものだが、日本の首相がアメリカの大統領にではなく、軍司令官に頼むというのは奇妙な話ではある。この記事によると、安倍首相は7月26日に日本滞在中のハリス米太平洋軍司令官に会っているので、この時に要請したものらしい。 
 
 その理由は、“核なき世界”を提唱するオバマ政権が今、アメリカの核戦略を見直しつつある中で、「核による先制攻撃」を選択肢から除くことを検討しているからだ。安倍首相の考えでは、アメリカの「核による先制攻撃」の可能性がなくなると、北朝鮮や中国に対する日本の防衛力が弱まるということらしい。この記事によると、オバマ大統領の核戦略再検討の動きに対しては、「米主要閣僚は反対、韓国やドイツなどの同盟国も懸念を示しているとされ、採用の可能性は低い」らしい。しかし、その一方で、「川口順子元外相とオーストラリアのエバンズ元外相らアジア太平洋地域の元閣僚や軍高官ら40人は16日、オバマ政権に先制不使用政策の採用を強く促し」たという。賛否両論があるということだ。 
 
 核による先制攻撃のオプションは、アメリカ自身にとってはそれほど重要でなくなっている。普通、核先制攻撃は、敵国が自国の政府や人口密集地に対して甚大な損害をもたらす危険が差し迫っていると判断した時に、敵国の核兵器や軍事基地に対して行われる。しかし、これは理論上の想定で、実際にはそれが行われたケースは歴史上存在ない。キューバ危機の際に、当時のケネディー大統領がソ連に対してこのオプションを明示して、キューバへのソ連製核兵器の導入をやめさせた例はあるが、このときも核先制攻撃は行われなかった。また、イラク戦争の発端は一種の“先制攻撃”だったが、この場合も核兵器は使われず、通常兵器での大規模攻撃だった。また、イスラエルが隣国イランの核開発に脅威を感じ、イランの核施設に対して先制攻撃を行った例もあるが、この場合も核兵器は使われず、爆撃機による通常兵器の攻撃だった。 
 
 このように先制攻撃は歴史的には行われているものの、これに核兵器を使った例は皆無といっていい。その理由の一つは、核兵器の破壊力があまりにも強大なので、それを限定的に使えず、使った場合は過剰攻撃となって国際世論を敵に回すか、あるいは全面核戦争につながるリスクが大きいからだろう。もっとも「劣化ウラン弾」のような放射性物質の破壊力を限定的に使用する兵器はあるが、これはいわゆる「核兵器」の範疇に入らない。 
 
 現在では冷戦は終わり、対ロシア、対中国の関係でアメリカが核による先制攻撃を行う必要性はきわめて少ない。また、現在のアメリカに対する脅威は、ロシアや中国のような核保有国からの攻撃ではなく、イスラーム原理主義などの少数のテロリストがアメリカ国内で起こす都市への攻撃で、これに対しては核兵器はまったく無力であり、抑止力はない。 
 
 アメリカが核先制攻撃を放棄して問題が起こるとすれば、それはいわゆる“核の傘”を差しかけている同盟国との関係である。核先制攻撃をアメリカが放棄した場合、同盟国に対する武力攻撃の抑止力が減退すると考える国が少なくないからだ。安倍首相もその中の一人だろう。だが、本当にそうであるかは明らかでない。 
 
 谷口 雅宣

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2016年7月11日 (月)

憲法改正の動きを注視しよう

 参議院選挙の結果が出た。残念ながら「芳しい」とは言えないが、それほど悪い結果でもないと思う。今回の選挙では、改選議席の総数は121で、そのうち自民が51、公明が13を獲得した。それぞれ+1と+4の増加だ。これを加えた64議席が、改選総数の52.9%になるため、各紙は「与党、改選過半数」という見出しを打った。また、非改選を含めた自民と公明の議席数は140で、これに「おおさか維新」や「日本のこころ」などの憲法改正積極派の議席18を加えると158となるので、「改憲勢力2/3に迫る」などという言い方もされている。 
 
 しかし、データを詳しく見てみると、自民は1議席しか増やしておらず、公明の+4は、投票率の低さに起因する部分も多いだろう。今回は54.7%という戦後4番目に低い投票率だから、組織力が強い公明や共産に有利で、共産党も2議席を増やしている。その他、伸長が目立つのは「おおさか維新」の+4だが、この票の多くは“浮動票”的な性格のものだと思う。なぜなら、『朝日新聞』が32の一人区で行った出口調査では、無党派層の34%が自民候補に投票したのに対し、56%は野党統一候補に入れている。この割合は、「おおさか維新」の支持層の34%が自民に入れ、46%が野党統一候補に入れたという割合と似ているからだ。 
 
 また、この調査で注目されるのは、公明支持層の動向だ。これらの人々の動きは、支持母体の創価学会の組織力を示すものだと思われるが、今回の選挙では、同支持層の24%が野党統一候補に入れたという結果になっている。つまり、公明党関係票の4分の1は、野党側に流れたということだ。これは恐らく、“解釈改憲”や安保関連法案の強行採決が、創価学会の一部--特に婦人部の不評をかったことと関連があるのではないか。 
 
 無党派層の動きを調べた共同通信の出口調査では、自民に入れた人が22.3%だったのに対し、民進に入れた人は23.2%と上回った。これは、2013年の参院選(自民23%、旧民主14.4%)、2014年の衆院選(自民21.1%、旧民主20.8%)の割合から逆転している。投票率がよくないにもかかわらず、あえて投票に参加した無党派層の中に「反自民」が増えている傾向を示す数字ではないだろうか。 
 
 このような選挙結果が、「与党とその候補者を支持しない」という今回の生長の家の方針発表とどう関係しているかは分からない。しかし、この発表により、安倍政権を支えている「日本会議」という不透明な政治組織の背後関係にある程度光が当たり、その思想が現在の生長の家とはまったく異なることが、メディアや組織を通じて信徒を含む多くの人々に伝えられたことは幸いだった。ただ、この発表が参院選の直前になってしまったため、生長の家の会員・信徒の方々には“寝耳に水”のようであり、少なからぬ混乱を招いたならば御寛恕をお願いする。これも偏に、国民が知らないうちに“解釈改憲”を行い、日本を誤った方向に向かわせようとする隠れた動きに「NO」を突きつけるためである。 
 
 今後、安倍政権は憲法改正を政治日程に上げてくるだろうが、その際には、彼らの改正案が、具体的な条文として本当に「改正」に当たるのか、それとも「改悪」なのかをしっかりと吟味検討していくことが、日本国民としての義務となるだろう。生長の家は、現憲法を金科玉条とするものではないが、立憲主義の原則を護り、「人間・神の子」の教えにもとづいて基本的人権を尊重し、軍拡や武力による平和ではなく、「信仰による平和」を希求するものである。 
 
 谷口 雅宣

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2016年7月 7日 (木)

今こそ「万物調和」の教えを拡げよう

 今日は午前11時から、山梨県北杜市にある生長の家“森の中のオフィス”の万教包容の広場で、「万教包容の御祭」が行われた。同祭にはオフィス職員が参加したほか、御祭の様子を伝える映像は、インターネットを通じて生長の家の国内の教化部を初め、海外の各拠点にも配信された。 
 
 私は御祭の最後に、概略以下のような言葉を述べた-- 
 
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 皆さん本日は、第4回目の「万教包容の御祭」にご参加くださり、ありがとうございます。この御祭は、3年前の7月7日に、“森の中のオフィス”の落慶を記念して始められました。その目的は、世界の宗教や民族、文化などが、多様性をもちながらも一つの中心のもとに大調和する実相世界の構図を、私たちの運動を通して現実世界にも現していくことを誓い、祈念するためであります。そのことを象徴するのが、七重塔であります。 
 
 今日は先ほど、この万教包容の広場で4基目の七重塔が除幕され、その基台に『甘露の法雨』と『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』の経本が納められました。この3つの経本は、これまでの1年間、オフィスの本部講師、本部講師補の方々が心を込めて読誦してきたもので、「神・自然・人間の大調和」実現を目指す私たちの誓願が込められています。 
 
 いま「神・自然・人間」と3つの言葉を使いましたが、この3つは本来、一体のものであるというのが、私たちが信ずるところであります。言葉というものは--特に、私たちが「名詞」と呼んでいるものは、人間の感覚でみれば「別々に分かれて見えるもの」を取り上げ、それらに名前をつけたものです。この現象世界の中には、実に膨大な数、膨大な量のものが存在しますが、その全体を捉えることは人間の感覚によっては不可能なので、私たちはそのごく一部を頭の中で切り取って名前をつけ、その名前を使って世界を理解しようとしているのです。 
 
 写真撮影を例にとれば、世界全体の写真はどんなカメラによっても撮れないので、その一部をフレーミングで切り取り、切り取った画面に大きく写ったものに名前をつけるようなものです。これが私たちが普段使っている言葉の重要な機能です。これはとても便利な機能なので、日常生活で普通に使っている分には問題は少ない。しかし、デメリットがないわけではない。その1つは、言葉で名前をつけた部分が、それ以外の部分とは別個に、独立して存在するような印象が生まれるということです。しかし、本当は、その名前の部分と写真のその他の部分は、別個で、相互に無関係であることはなく、同じものの一部であったり、密接な関係で結ばれていることがほとんどです。 
 
 例えば、「山川草木」という言葉がありますが、この言葉の文字面だけを見ていると、「山」と「川」と「草」と「木」は、別個の独立したもののように感じられますが、私たちがこの八ヶ岳の麓で生活していてよく分かることは、これら4つは決して分離することができない全体の一部で、相互に密接に支え合っているということです。山があれば必ず川が流れます。川の周辺には草木がよく繁り、そのおかげで川が氾濫しないで一定のコースを流れる。だから、山の形が一定なのも、草木が繁っているからと言えます。 
 
 『観世音菩薩讃歌』の終りの部分には、これと同様のことが「空をゆく雁の群」を例に挙げて描かれているのを、思い出してください。 
 
<--天使かく説き給えば、 
天の童子の姿かき消え 
虚空高く雁の一群の飛び行く姿見ゆ。 
その時天空より大音声の響きて曰く 
「見よ、雁と虚空と分かつこと能わず。 
虚空と山河と分かつこと能わず。 
山河と海は不可分なり。 
すべての生物と地球は一体なり。 
汝ら自らを一個の卑小な肉体と見るべからず。 
人間は山河なくして存在せず、 
海陸と別に存在せず、 
そこに生くるすべての生物と共に在るなり。> 
 
 この引用箇所は、文学的表現のように聞こえますが、生物学や生態学が発達した今日では、科学的事実でもあるわけですね。人間は、生態系の一部として、空や山河や海陸と、そこに生きるすべての生物に支えられて生きている、ということです。これが生物としての人類の真実なのですから、人間社会の中での個人の位置も、この全体的構造と違うはずはないのです。つまり、すべての人々は、お互いに助け合い、支え合って生きているのです。しかし、人間には、そういう大調和の全体像が見えなくなることがある。それは、社会全体の中での自分の位置が分からなくなる時です。これを「identity crisis」とか「自己同一性喪失の危機」とか呼びます。 
 
 自分が一体何者であって、何に価値を見出せるか分からなくなってしまう。社会での自分の位置が失われる。どこへ行っても、そこは自分の居場所ではないような気がする。人とのコミュニケーションがうまくとれず、友だちができない。友達がいても、別れてしまった……そういう精神的危機は、貧困の中で生まれることもあるけれども、先進諸国の物質的繁栄の中でも生まれることがあります。自分の“本当の姿”を忘れ、一個の肉体だと思う。そういう人間の中には、自分を疎外する社会を破壊して、自分自身も破壊したいという願望を抱く人もいるのです。 
 
 私は、ISの呼びかけに応えてテロを行う人々の多くが、そのような自己同一性の危機に陥った人だと考えています。つい最近も、バングラデッシュのダッカで、外国人向けレストランを狙ったテロが起こり、日本人7人を含む20人が犠牲になりました。一見、このこととは関係がないように見えますが、より広く世界に目を向けると、イギリスの国民投票ではEUからの離脱派が多数を占めました。これは、ヨーロッパへの大量の移民の流入によって、イギリスの文化的・社会的同一性が失われると感じた人々の、恐怖心から生まれた結果と思われます。アメリカの大統領選挙でも、移民流入の制限と、人種や宗教差別を隠さない大富豪の候補者が、国民の半分を代表する立場にあるというような、アメリカ史上稀にみる異常事態が起こっています。 
 
 そして日本では、過去の憲法を復活させ、中国に対抗するために軍備増強を推進しようとする総理大臣が、高い支持率を維持していることは、皆さんもご存じの通りです。 
 
 このように、世界の多くの人々が、本来一体で大調和している世界の構図を認めずに、分離・独立・相互対立の動きが世界中で広がっているように見える今こそ、この「七重塔」に象徴される「万教包容」「万物調和」の教えと、アイディアと、生活法を推進していく私たちの運動の重要性は増大していると言わねばなりません。七重塔の「7」は「すべて」を表します。そのすべてが、それぞれの個性を失わずに、中心軸(つまり神意)から逸れずに全体を構成している。その姿は、調和していて美しい。 
 
 それを表現しいるのが、七重塔です。この塔は毎年、この日に一基ずつ増設していくことが決まっていますが、その理由は、私たちの万教包容・万物調和のメッセージが年ごとに世界にどんどん拡大していくことを誓願し、その誓いを視覚的にも表現することによって、運動の拡大を進めるためです。 
 
 どうか皆さん、「神・自然・人間の大調和」という実相世界への信仰をこれからも高く掲げるとともに、人間社会の分離・対立を未然に防止するために、「人間は皆、神の子である」という真理を益々多くの人々にお伝えください。 
 
 それでは、これをもって今日の御祭のご挨拶といたします。ご清聴、ありがとうございました。 
 
谷口 雅宣 

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2016年6月17日 (金)

信仰者はウソをつかない

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山にある谷口家奥津城で「谷口雅春大聖師三十一年祭」がしめやかに執り行われた。前日の雨は上がり、時に陽が差し込む中、奥津城前の広場には神奈川、石川、和歌山、広島、香川、鹿児島から団体参拝練成会に参加する信徒・幹部ら、また近隣の教区から合計五百数十名が集まり、生長の家創始者の遺徳を偲び、真理宣布の決意を互いに確かめ合った。私は、年祭の最後に大略、以下のような挨拶を行った。 
 
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 
 
 皆さん、本日は谷口雅春大聖師三十一年祭に大勢お集まりくださり、誠にありがとうございます。谷口雅春先生は昭和60年の今日の日に昇天されましたが、あれから31年が過ぎていきました。雅春先生は昭和50年1月に、81歳で東京からこの地に移られ、龍宮住吉本宮(昭53)と霊宮(昭56)を建設され、長崎では約10年間を過ごされました。 
 
 この間、生長の家の運動では大きな変化がありました。それは昭和58(1983)年7月に、生長の家政治連合(生政連)という政治団体が活動停止になったことです。今日は、その意味について振り返りたい。生政連は昭和39年9月に結成されましたから、それ以降約20年にわたって、生長の家は政治運動を展開したという歴史をもっています。 
 
 しかし、そういう政治運動はやめようということになりました。これは、第2代総裁の谷口清超先生の決断によるものです。しかし、谷口雅春先生も政治と宗教が一体となった運動には弊害が大きいことを、この決定の10年ぐらい前から気づいておられました。谷口清超先生は、その意を汲まれ、さらにご自分の信念にもとづいて、この重大な決断を下されたのです。 
 
 当時のことをやや詳しく書いた文章を読みます。これは私が監修して2004年に出した『歴史から何を学ぶか:平成15年度生長の家教修会の記録』という本にあるものです。書いた人は、この政治運動の推進に中核的役割を果たしてきた元本部講師の森田征史さんです 
 
-----(以下引用)---------------- 
 
<生政連活動停止の原因となる重要な問題は、既に昭和43年9月1日号の『聖使命』紙に谷口雅春先生の「勝利に傲らず聖胎を長養すべし」と題されたご文章の中に示されていました。それは、「純粋宗教的立場から幾分方向転換して政治的方面に運動を進めて来たために、宗教の純粋さや、清潔さが少しでも失われて来ていないか」ということでした。教化部や道場で真理の話が少なく、「票の獲得」のことが多い等の意見があり、宗教的な魂の教化や救済が第二次に置かれるとき、純粋なる宗教的真理を求める人たちは去ってしまうか、近寄り難くなるのは当然の帰結である。そのために選挙の票は伸びたが、信徒又は誌友数は足踏みどころか却って少なくなった県もある、と先生はご指摘になりました。(…中略…)そして、純粋宗教活動にのみ精神と行動を集中するためには、地方の教化方針や雰囲気を変える必要があり、教化部長の改選期にあたり大々的に配置転換が行われると同時に、相・白・青の組織が政治運動のために一元化していることから、男性が白鳩会を支配している傾向のところは改めなければならなぬ、と強く指摘されました。 
 
 こうした先生のご指摘に対して、主たる改善が行われないまま運動が進んでいきました。しかしその後、参議院選挙での全国区比例代表制の導入等、新たにいろいろな重大な問題や矛盾も生じ、昭和58年7月5日、生政連は遂に活動停止となりました。 
 
 生政連の活動停止後、先に述べたように、谷口清超先生のご指導を戴いて次のような教団の新たな決意が述べられました。 
 
 このような情況においては、吾々の運動は立教本来の布教使命の自覚と人類光明化運動の根本的な基盤確立が必要欠くべからざるものとの観点から、出来るだけ多くの国民の中に『神の子・人間』と実相日本の霊的使命を伝道し、全世界の組織網を確立することが急務と考え、生政連活動は停止されたのであって、決して後退したのではない。それは新たなる前進である。今後は、人間神の子の真理・真理国家日本の理念を自覚した国民をもっともっと多数うみ出すことにより、そうした国民の正信がおのずからに、政治家は勿論、凡ゆる階層の人々に反映され、生活・教育・家庭・事業、及び政治の変革が実現するような状況をつくり出して行こう、とするのである。それはこれまで以上に幅広く、根の深い雄渾な活動への重大な第一歩と言えるであろう。 
 
 こうした目的を達するためには、生長の家の各組織を拡大・充実させつつ、飛躍的な教勢拡大を図るほか、安易な道はどこにもありえない。そしてそれこそが、人類光明化運動の原点でもあるのだ。吾ら信徒一同、この原点に立ち、菩薩行に邁進したいと決意を新たにする次第である。(『聖使命』昭和58年8月15日号) 
 
 生長の家はその後、純粋な信仰運動として信徒拡大をはかるために、従来、政治目的で行動を共にしてきた「日本国民会議」等の“愛国団体”とも分かれ、講習会推進活動を中心とした運動を展開しました。>(同書、pp. 59-61) 
 
--------(以上引用)------------- 
 
 ここにあるように、生長の家は生政連の活動停止を決めたことに伴い、それまで政治的な行動を共にしてきた、いわゆる“愛国団体”とも袂を分かつという方針を決め、その方針を実行してきたはずなのです。この“愛国団体”の中に「日本国民会議」というのがありました。これが今、話題になっている「日本会議」の前身である政治団体です。ですから、生長の家は長年の政治運動による諸問題を真剣に考察した結果、宗教の純粋性を回復し護持するという重要な目的からこの決定を下した。その決定から、今はもう30年以上たっているのです。 
 
 ところが残念なことに、この決定に従わない人々がいたのですね。それも一般の信徒ではなく、生長の家本部の中枢にいた人、また教化部長として、本部講師として、本部からの給料で生活の保障を受けていながら、表面では本部の方針に従う素振りをして、何十年も“面従腹背”の生活を送ってきた人々がいたのです。 
 
 先日、6月9日に発表された生長の家の「今夏の参議院選挙に対する方針」には、そのことが次のように書かれています-- 
 
--------(以下引用)------------- 
 
<最近、安倍政権を陰で支える右翼組織の実態を追求する『日本会議の研究』(菅野完、扶桑社刊)という書籍が出版され、大きな反響を呼んでいます。同書によると、安倍政権の背後には「日本会議」という元生長の家信者たちが深く関与する政治組織があり、現在の閣僚の八割が日本会議国会議員懇談会に所属しているといいます。これが真実であれば、創価学会を母体とする公明党以上に、同会議は安倍首相の政権運営に強大な影響を及ぼしている可能性があります。事実、同会議の主張と目的は、憲法改正をはじめとする安倍政権の右傾路線とほとんど変わらないことが、同書では浮き彫りにされています。当教団では、元生長の家信者たちが、冷戦後の現代でも、冷戦時代に創始者によって説かれ、すでに歴史的役割を終わった主張に固執して、同書にあるような隠密的活動をおこなっていることに対し、誠に慚愧に耐えない思いを抱くものです。先に述べたとおり、日本会議の主張する政治路線は、生長の家の現在の信念と方法とはまったく異質のものであり、はっきり言えば時代錯誤的です。彼らの主張は、「宗教運動は時代の制約下にある」という事実を頑強に認めず、古い政治論を金科玉条とした狭隘なイデオロギーに陥っています。宗教的な観点から言えば“原理主義”と呼ぶべきものです。私たちは、この“原理主義”が世界の宗教の中でテロや戦争を引き起こしてきたという事実を重く捉え、彼らの主張が現政権に強い影響を与えているとの同書の訴えを知り、遺憾の想いと強い危惧を感じるものです。> 
 
--------(以上引用)------------- 
 
 イスラーム原理主義にもとづくテロリストの戦術として、英語で「sleeper cell」と呼ばれるものがあります。「sleep」は「眠る」という意味で、「cell」は「細胞」--「眠れる細胞」です。政治学の分野では「細胞」は政治組織の最小単位のことであります。「sleep」という語も、スパイなどが自分の本当の身分や意図を隠しながら、一般市民の中で静かに、ごく“普通に”していることも意味する言葉です。ですから、「sleeper cell」は「所属する組織の本当の目的を秘匿して、大衆の中で普通の市民として暮らす単位組織」という意味になります。 
 
 この“スリーパー・セル”が私たちの運動の中にもあったということです。そのことは、菅野さんの本の中で、実名をもって証明されています。これは、そういう人々が何十年も前にいたという話ではなく、ごく最近まで生長の家の幹部として活動し、今は「日本会議」の中枢にいたり、さらに私たちの運動に反対している「谷口雅春先生を学ぶ会」の中枢にもいる--ということです。しかし、私たちの今回の決定は、これらの人々への憎しみに基づくものではありません。そうではなく、これらの人々の運動方法と行動哲学は、宗教が説く「信仰」とは相容れないことを明確にするためです。さらに言えば、この同じ方法で隠密裏に、日本の政治が彼らの偏向した思想によって間違った方向に向けられる危険性が迫っているという認識と危機感にもとづくもので、「そうさせてはいけない」という強い意志の表明なのです。 
 
 健全な民主主義を機能させるためには、政治の透明性が不可欠です。しかし、彼らが何十年も実践してきた“スリーパー・セル”のような“面従腹背”の生活と運動方法は、宗教と相容れないどころか、民主主義の基本を否定するものです。なぜなら、彼らの思想と行動の実態は表面から分からず、まったく不透明だからです。このような生き方は、ましてや谷口雅春先生のお考えや人格とは正反対と言っていいでしょう。 
 
 ご存じのように、谷口雅春先生は、隠し事をされない、竹を割ったような、まっすぐな性格をおもちでした。先生は宗教の創始者という立場にありながら、ご自分の失敗を包み隠さず文章に書かれたことが一度ならずあります。有名なのは、『生命の實相』の自伝篇にある若い頃の女性遍歴の話です。これは多くの方はすでに読まれている。 
 
 また、立教後に、先生の一人娘である谷口恵美子先生の結婚相手を選ばれたときも、一度失敗されている。この話は、先ほど紹介した『歴史から何を学ぶか』の中に、一部が引用されています: 
 
--------(以下引用)------------- 
 
<ご存じの方も多いかと思いますけれども、谷口雅春先生もこの後継者選びに関しては一度、そういう過ちを犯したことがおありです。それが『善と福との実現』という本の中に書いてあります。 
 
 それは、谷口清超先生がまだ雅春先生の前に現れていない時期に、谷口恵美子先生の娘婿として、ある人物を選ばれた。それは谷口恵美子先生がよく知らない人だったけれども、雅春先生がその人のことを知って、この人なら戦争に行かないだろう--つまり、腎臓に結核菌が入ったので一方を摘出したから、徴兵に取られないと思われた。そして、自分の所に「心の父よ」という肩書きで手紙を書いてきたこともあって、先生の方も「吾が子よ」というような感情が起こってきて、その人を養子に定められた。恵美子先生は雅春先生を深く尊敬されていましたから、「お父様のおっしゃること、決めることはすべて善い」と思って結婚されて、その人物は谷口家の養子になったのです。 
 
 しかし、恵美子先生は結婚してから、自分はこの人が愛せないということが分かった。そして苦しまれるんですね。その様子も『善と福との実現』の中に書いてあります。あの本を読まれていない方はぜひ読まれるといいですね。感動的な文章がいっぱい書いてあります。雅春先生は、当時のご自分の精神状態も詳しく分析されていて「私に少し間違った選択があったのは否定できない」ときちんと書いていらっしゃる。>(同書、pp. 173-174) 
 
--------(以上引用)------------- 
 
 このように「正直である」こと、「ウソをつかない」ということは、宗教者に必須の信条であり、素質です。なぜなら宗教とは、人が「心の底で何を想っているか」「何を信じているか」を問題にするからです。それを隠したり、偽ることで信仰が成立するはずがありません。私たちがよく知っている「大調和の神示」の中にも、「怺(こら)えたり我慢しているのでは、心の奥底で和解していぬ。感謝し合ったとき本当の和解は成立する」とハッキリ書いてあることを思い出してください。これは、「表面的に仲直りするのではダメだ。心の底から仲直りしなさい」という教えです。 
 
 今回の生長の家の方針は、このような「ウソを言わない」という私たちの信条からしても、また民主主義の根本原則からいっても、今の安倍晋三首相が率いる与党の方針と行動を容認することは、日本を危機に導くという判断--そういう愛国心にもとづくものです。ぜひ、この点を理解していただき、宗教者としての純粋性の表現と、国の進む方向を誤らせないために、「与党とその候補者を支持しない」というメッセージを、皆さんの投票行動で示していただきたいのであります。 
 
 これをもって谷口雅春大聖師三十一年祭の言葉とします。どうか皆さん、信仰者として「ウソをつかない」生き方を守り通してください。ご清聴ありがとうございました。 
 
谷口 雅宣

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2016年6月10日 (金)

「与党とその候補者を支持しない」

 この表題のもとに9日付で発表された生長の家の方針は、各方面に驚きをもって受け止められているようだ。この“驚き”の中には、誤解から生まれたものも少なくない。それは「生長の家=自民党」という冷戦時代の古い方程式しかご存じない人の場合である。私は、もうだいぶ前から自民党政権に愛想をつかし、本ブログあるいはその前身の「小閑雑感」上で民主党を応援してきたことは、本欄の読者ならよく知っているはずだ。ただ、宗教法人「生長の家」として、特定の政党の支持、不支持を表明したことはここ30年ほどないだろう。そんなわけで、今回の声明は“方針転換”と受け取られたのかもしれない。 
 
 しかし、法人もしくは教団は、私とは同一でないものの、考えがまったく違うわけでもない。だから、今回の方針表明がどういう経緯で行われたかは、今回の公式な説明以外にも、私のブログでの過去の発言を読んでいただくと、もっとよく理解していただけると思う。そんな理由で、以下に私の過去の“政治的発言”の主なものの表題を時系列でリストアップさせていただいた。興味をもたれた方は、リンク先の記事を読んでいただければ幸いである-- 
 
2009年8月31日
2010年7月12日
2012年12月10日
2012年12月12日
2014年1月30日
2014年7月3日
2014年7月 5日
2015年5月16日
 谷口 雅宣

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